B:建安5年(200年)白馬の戦い
建安5年(200年):曹操、東方の徐州の劉備を征伐した。
劉備は、袁紹のもとへ奔った。
曹操、関羽を捕虜にして連れ帰り、偏将軍に任命して、大変手厚く礼遇した。
曹操は関羽の立派な人柄を高く評価していたが、関羽が留まる気がないことを察してしまう。
そこで、張遼に言った。『試しに情けを以って問え』(情けを以って→個人的に?)
張遼、関羽に聞いてみた。
関羽『 曹公が私を厚遇してくださっているのはよく知っていますが、しかし、私は劉将軍から厚い恩誼を受けており、共に死のうと誓った仲です。あの方に背くことはできません。私は絶対に留まりませんが、私は必ず手柄を立てて、曹公に報いて去るつもりです。』と言った。
張遼、関羽の言葉を曹操に報告する。
曹操は、その義心に感心した。
夏4月:兗州東郡白馬県にいる東群太守・劉延が、袁紹軍に包囲された。
曹操は、張遼、関羽を先鋒とし、袁紹軍を攻撃した。
関羽は、大軍の真っ只中で顔良を刺し、首を斬りとって帰ってきた。
袁紹軍の中に関羽に敵うものはおらず、白馬の包囲は解かれた。
白馬から西に寄って、劉備含めた文醜軍と戦闘になったが、撃破して文醜を斬った。(武帝紀)
曹操、上表して関羽を漢寿亭侯に封じた。
関羽が顔良を殺害するにおよんで、必ず去るだろうと思い、重い恩賞を賜った。
関羽は、ことごとく賜り物に封をし、手紙を捧げて訣別を告げ、劉備がいる袁紹のもとへ奔った。側近の家来が関羽を追跡しようとすると、曹操は『彼は彼なりに、主君のためにしているのだ。追跡してはならない』といった。(関羽伝)
参考にしたもの↓
ちくま正史三国志(ちくま学芸文庫)
1巻[魏書Ⅰ]武帝紀(曹操)
5巻[蜀書 ]関羽伝
正史三国志英傑伝(徳間書店)
Ⅲ貫く[蜀書]関羽伝