けろりっち(ちょう遼が好き)

いも~れ! 三国志【張遼】を贔屓してます。 張遼の経歴年表を作成中です。

E:建安20年(215年)合肥の戦い 1

※けろりっちの偏見も混ざった、参戦した人物紹介

曹魏 建安20年(215年)の情報 

張遼‬(盪寇将軍、節):楽進と李典と不仲。
 建安19年(214年)、呉が軍を率いて皖城を攻撃したとき、張遼は救援軍として皖城に向かった。しかし、夾石まで来て、皖城が呉の手に落ちたと聞き、引き返した。(呂蒙伝94P)
 曹操から、大軍を相手に撃って出る指示を出されて困惑する諸将が多い中、張遼は人間関係を心配している。
楽進‬(折衝将軍、節):古参兗州組。張遼と李典と不仲。
李典‬(破虜将軍):古参兗州組。張遼と楽進と不仲。
‪薛悌‬(護軍):古参兗州組。呂布が兗州を襲った際、健気に曹操の帰還を待ち続けた。忠誠心が高い。曹操から命令書を与えられた。
温恢‬(揚州刺史):并州出身。軍事に明るい(曹操のお墨付き!)
 曹操は、張遼と楽進に「軍事で困ったことがあったら温恢に相談せよ」と伝えていた。
蒋済‬(別駕):智略に優れた優秀な人。
208年の合肥の戦いで、奇策により孫権を追い払った経験あり。
 
実際に戦闘に参加して記録が残っているのは、張遼・李典のみです。
楽進は、合肥城の守備を担当したからか、記録がなさすぎです。(´・ω・`;)

 孫呉 ※皖城攻略後の情報です。

孫権(行 車騎将軍):総大将。

配下を友のように大事にする。(215年合肥の記録は呉主伝83P)

谷利(親近監):孫権の側近で使い走り。忠義一本でいい加減なことを言わないので、孫権に愛され信頼されている。(呉主伝83P)

陳武(偏将軍):孫策→孫権へ。初日から参加。185㎝と大柄で、思いやりが厚く気前がよかった。孫権から愛された。また、愛妾がいるらしい。(陳武伝125P)

潘璋(武猛校尉):孫権から。撤退戦からの参加???

かと思いきや、実は初日参加かも???(潘璋伝151P)

栄謙(不明):伝記がないので身元不明です。撤退戦からの参加。かと思いきや、実は初日参加かも???(潘璋伝151P)

徐盛(中郎将?):孫権から。撤退戦からの参加。かと思いきや、実は初日参加かも???(潘璋伝151P)(賀斉伝359P)

賀斉(奮武将軍):孫策→孫権へ。撤退戦からの参加。かと思いきや、実は初日参加かも??? 派手好き。(賀斉伝359P)

呂蒙(偏将軍・廬江太守):孫策→孫権へ。撤退戦からの参加。努力家。(呂蒙伝97P)

蒋欽(討越中郎将):孫策→孫権へ。撤退戦からの参加。質素倹約家。(蒋欽伝119P)

甘寧(升城督・祈衝将軍):孫権から。撤退戦からの参加。弓が得意。強い。升城督→城攻めの突撃隊長。(甘寧伝139P)

凌統(盪寇中郎将・右都督):孫策→孫権へ。撤退戦からの参加。

 甘寧は父(凌操)の仇。父(凌操)が戦死した際、近習の兵300人をそのまま引き継いだ。勇猛な27歳の若者。小さい息子が二人いる。(凌統伝144P)

 

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