けろりっちのブログ

いも~れ! 三国志【張遼】を贔屓してます。 張遼の経歴年表を作成中です。

年表の更新

F:晩年の厚遇、後世の評価など

 

張遼の時系列を修正して、洞口(洞浦)の戦いを追加しました。

 

 曹丕が皇帝になる前に、合肥で小競り合いがあったのは分かってるのですが。

問題は時期が分からないんですよね。せめて、東里袞と浩周の帰国時期がわかれば、だいたい帰国時期より1~2ヶ月前くらいだと予想できるんですが。

見落としがあるかもしれませんね!もっとよく調べなくては!

 

年表の更新

 張遼を贔屓するはずのけろりっちのブログですが、時系列を調べるため&空白期間を埋めるために、張遼以外の出来事も載せているので。

肝心の張遼の記述が読みにくくなってしまったので、張遼が関係ある記述の背景に色をつけることにしました。

モノトーン→呂布軍時代まで。まだ何者でもない時代。
パステルカラー青紫系の色→曹魏の配下。
けろりっちの注釈?コメント?みたいなの

けろりっち的には、見やすくなったと思います\(^^)/

編集はまだまだ続きます。

後漢書 張遼伝 (編集中)

《蕭氏續後漢書》

《卷四十四》

欽定四庫全書

續後漢書卷四十四    宋 蕭常

撰魏載記九


張遼字文逺

鴈門馬邑人本聶壹之後以避仇變姓

呂布以為騎都尉

布敗歸曹操以中堅將軍

從攻袁譚袁尚

譚尚破復平遼東栁毅等 還鄴操自出迎引與共載拜盪冦將軍

從攻袁尚於栁城卒與虜遇遼請戰氣鋭甚操壯之自以所持麾授遼遂大破之斬單于蹋頓操將破栁城

遼諌曰夫許天下之㑹也今天子在許而公逺出若劉表遣劉𤣥徳襲許據之以號令四方公之事去矣操策表必不能任𤣥徳遂行時

荊州未定復遣屯長社臨發軍中夜有謀變者火起一軍盡擾遼謂左右勿動是不一營盡反必有造變者欲以亂動人耳仍令軍中其不反者安坐遼將親兵數十人中陳而立有頃乃定即將首謀者殺之

陳蘭梅成以氐六縣叛操遣于禁臧霸等討成遼督張郃朱蓋等討蘭成偽降禁禁還成遂將其衆與蘭合轉入灊山灊中有天柱山髙二十餘里道險狹步徑纔通蘭等壁其上遼欲進兵諸將以為道險難入遼曰此所謂一與一勇者得前耳遂進至山下攻之斬蘭成盡俘其衆操論諸將功曰登天山履峻險以取蘭成盪冦功也

使與樂進李典等將七千餘人屯合肥

操攻張魯教與䕶軍薛悌署函邊曰賊至乃發俄而孫權帥衆十萬圍合肥乃共發教曰若孫權至者張李二將軍出戰樂將軍守䕶軍勿得與戰諸將皆疑遼曰公逺征在外比救至彼破我必矣及其未合逆擊之折其盛勢以安衆心然後可守也成敗之機在此一戰諸軍何疑李典意與遼同

是夜募敢從之士得八百人椎牛饗士明日出戰

平旦遼被甲持㦸

先登陷陳殺數十人二將大呼自名衝壘入至權麾下

權大驚

衆走髙隴以長㦸自衛

望見遼所將兵少乃聚圍遼數重遼左右麾圍直前急擊圍開遼將麾下數十人得出

餘衆號呼曰將軍棄我乎

遼復還突圍㧞出餘衆自旦戰至日中吴人奪氣還脩守偹衆心乃安諸將咸服權駐合肥十餘日城不可拔乃引去遼帥諸將追擊㡬獲之拜征東將軍

建安二十一年操至合肥按行遼戰處歎息良久増其軍徙屯居巢

子丕簒漢封晉陽侯嘗問所以破吴狀顧左右曰此亦古之召虎也為起第舍又特為其母作殿後復與諸將破權將呂範卒於江都



護軍とは???

夏侯尚傳 魏略曰:

夏侯尚伝 魏略にいう:

玄旣遷,司馬景王代為護軍。

夏侯玄が栄転した後、司馬景王(司馬師)が代わって護軍となった。

護軍總統諸將,任主武官選舉,

護軍というのは、諸将を取り締まり、武官の登用を司る任務である。

前後當此官者,不能止貨賂。

代々この官についた者は、みな賄賂を取るのが常だった。

故蔣濟為護軍時,

だから、蒋済が護軍だったときに、

有謠言「欲求牙門,當得千匹;百人督,五百匹」。

『牙門(がもん)になりたかったら、千匹の絹。100人督(小隊長)なら、500匹』

というはやり歌があった。

宣王與濟善,聞以問濟,濟無以解之,

司馬宣王(司馬懿)は蒋済と親しかったので、雑談の席で蒋済に訪ねると、蒋済は弁解のしようがなかった。

因戲曰:「洛中市買,一錢不足則不行。」遂相對歡笑。

そこで、司馬宣王(司馬懿)はからかって「洛中での買い物は、一銭足りなければだめか」といい、向かい合って大笑いした。

玄代濟,故不能止絕人事。

夏侯玄は蒋済と交替したのだが、このため、つけ届けをやめさせることができなかった。

及景王之代玄,整頓法令,人莫犯者。

司馬景王(司馬師)が夏侯玄と交替するに及んで、法令を整備したため、違反する者はいなくなった。

けろりっちは呟く。 

賄賂が横行していた。 

1.将軍のお目付け役として、将軍の働きを監視して報告する。

2.諸将をまとめて、仲を取り持って仲良くさせたり?(趙儼とか)

3.曹操から受けた指示や作戦を諸将に伝えたりとか?(薛悌とか)

4.曹操が柳城を討伐しようとしたとき、領軍の史渙は、護軍の韓浩と協力して諌めようと考えていた。

韓浩「(省略)私とあなたとは中軍の指導者なのだから、ここで兵隊たちの気勢いを挫くべきではないぞ」(夏侯惇伝 魏書:韓浩、史渙)

5.戦に負けたりして将軍が降伏したら、護軍もいっしょに捕虜になったり、最悪処刑される。(于禁といっしょに捕虜になった浩周とか)

6.一人の将軍に一人つくこともあれば、複数人の将軍を一人で統括することもある。

7.護軍は、指名制???将軍が自由に決められた?(胡質とか)(武周とか)

 

1~7の以上が、けろりっちの『護軍』に関する認識です。

4の韓浩と史渙の話は、1~3を含めてるかな???

 

1が賄賂を取っていた理由かしら。

戦場では命がけですから、大変な任務だと思います。

仲が悪い将軍たちをまとめるのも、大変そうです(-_-;)

でも、やっぱり賄賂の件は(´・ω・`)ウーンという気持ちです。

(もちろん、全員が全員、賄賂を取っていたわけではないはず!)

でもね!ここで気をつけないといけないことは!

賄賂を取っていたからといって、決して私腹を肥やしていたのではない!

なぜなら、この時代の優秀な人たちは、報酬や宝物をもらったら、親族や部下に分け与えていたからです。場合によっては、反乱を抑えるために賊にもあげていたかもしれません。

ですので、賄賂を取っていた=ズルをしていた

ではないと、けろりっちは考えます!考えたいです!

まぁでも法を整備したら違反する者がいなくなったということは、やっぱり悪いことだったんですよね。(^^;)

(賄賂自体は、他の官職も蔓延ってたとは思いますので、気にしたらダメなことは分かりますが)

 

とりあえずですね、『護軍』については、深く考えるのはやめました。

考察するにも知識が追いついていないけろりっちは、書いてあることをそのまま知識として覚えるのみです。

また、あんまり考えすぎると、知恵熱ならぬ知恵頭痛が出て1日動けなくなるので(~_~;)

 

 

ところで、7ですが。

護軍って、一人につき一人付く場合は、指名制だったのかな?将軍が自由に決められたんですかね???

張遼、温恢に『胡質をください』胡質に『どうして逃げるの?』って言ってるし。

お目付け役なのに、指名OK???

へ~( ゚д゚)???

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

7について書いた記事です、よかったら読んでみてね!『護軍』にまつわる張遼のエピソードです→【素直に謝罪して仲直り

参考にしたもの↓

ちくま正史三国志(ちくま学芸文庫)

2巻[魏書Ⅱ]夏侯惇伝(魏書:韓浩、史渙 143P)、夏侯玄伝(魏略 214P)

中國哲學書電子化計劃(中国哲学書電子化計画)

三國志 : 魏書九 : 夏侯尚傳 - 中國哲學書電子化計劃

 

素直に謝罪する

張遼の人間性が分かる、貴重なやり取りです。

張遼が合肥に駐屯して、すぐの頃だと思われます。

 

登場人物

胡質(こしつ)字は文徳(ぶんとく)

武周(ぶしゅう)字は伯南(はくなん)

 

将軍が軍を率いて戦に出るためには、護軍(お目付役)が必要です。

張遼の護軍は、武周です。

過去に呂布と同盟を結んだことがある臧覇が、敬愛している人物です。

張遼も、武周を尊敬しています。

その張遼と武周が、仲違いをしていました。

張遼は、揚州刺史の温恢に、胡質を貰い受けたいと願いました。

ところが、胡質は、病気を理由に、断っていました。

このままでは戦に出られないので、張遼、直接胡質に真意を聞きに行きました。

張遼「僕は、あなたに身を委ねているのに、どうしてそっぽを向くの?」

胡質「(省略)武伯南はとても優秀な人物であり、過去には将軍(張遼のこと)も称賛しておられたのに。今は、わずかな(目つきが悪いからという理由で)恨みから憎しみ、仲違いをされてしまいました。私は才能がないのに、どうして最後までつきあえましょうか?私は気が進みません。」

胡質の話に感じ入った張遼は、ふたたび武周と仲良くなりました。

※ちくま正史三国志の日本語訳をちょっぴり変更しました。

 

☆原文

將軍張遼與其護軍武周有隙。遼見刺史溫恢求請質,質辭以疾。

遼出謂質曰:「僕委意於君,何以相辜如此?」

質曰:「(省略)武伯南身為雅士,往者將軍稱之不容於口,今以睚眦之恨,乃成嫌隙。況質才薄,豈能終好?是以不願也。」

遼感言,復與周平。

 

 

 ゲームや漫画などでは、優等生なイメージが強い張遼ですが。

史実の張遼は、当時の武人らしく『舐められたら殺す』的な感情を持っていたんですね!

人間らしくてとても良いと、けろりっちは思います♩

胡質に、遠回しに『あなたとは付き合えませんよ』と言われてしまいましたね。

胡質の話を聞いた張遼、素直に反省して謝罪したのかな?

武周と仲直りできて、よかったですね(*^^*)

 

ところで。

護軍を担当する者は、賄賂を要求していたそうですので。

胡質が賄賂大好きな守銭奴だったら、武周との確執は無視してたかもね?(胡質は、もらった給料や褒美を、配下や民に分け与えていたのか、貯金や蓄えがほぼなかったそうです。)

それか、賄賂を受け取ってまで、張遼とは付き合えないと思ったか。

また、賄賂自体、受け取らない主義だけど、張遼とは付き合えないと思ったか。

 

どちらにせよ、張遼は、悪いことを悪いと指摘してくれる人物に出会えて、よかったですね!

 

今回のまとめ

☆張遼の周囲の人物は、みんな優秀。

☆張遼には『舐められたら殺す』の精神がある。

 (本当に殺すわけにはいかないので、視線を合わさなかったり同席を避けるなど関わらないようにしてるかも)。

☆張遼には、悪いことは悪いと指摘してくれる人物がいた。

☆張遼は、自分が悪いと気付いたら、素直に謝罪できる。

 

 

張遼の人間性が分かる、貴重なエピソードでした!╰(*´︶`*)╯

 

 

護軍について 】けろりっちが認識している護軍について書きました。

参考にしたもの

ちくま正史三国志(ちくま学芸文庫)

4巻[魏書Ⅳ]胡質伝 

中國哲學書電子化計劃(中国哲学書電子化計画)

三國志 : 魏書二十七 : 胡質傳 - 中國哲學書電子化計劃

張遼が怖かったもの

ちくま正史三国志を買い集め始めてから、5ヶ月が経ちました。

ブログを開設して、年表を作り始めてから、約2ヶ月が経ちました。

 

そこで気付いたこと。

 

張遼にとって、一番怖いのは、目の前の敵の大軍よりも、人間関係なのかなぁ?って。

董卓の配下として。

呂布の配下として。

元呂布配下の降将として。

曹操と関羽の間。

于禁楽進李典との不仲。于禁とは趙儼を挟んで仲良くなったけど。

 

ただ伝記だけを読むと、張遼の周りは優秀な人物だらけだし、張遼を陥れようとする野郎もいないし。優秀な人物たちに恵まれたように思えるけれども。

 

当時を生きていた張遼は、わりと世渡りに苦労していたのかな?って。

同じ降伏者の賈詡も、大変だったようだし。

 

仕事でも、仕事内容に不満はないけど人間関係がめんどくさかったり、疲れたりすることは、現代でも同じですよね!

 

合肥の戦いは、温度差がありますね。

張遼「曹操様の命令に従い、出撃する。」

楽進李典、他諸将「ヒソヒソヒソ…撃って出て戦え……?無茶でしょ、曹操様も張遼も何言ってんの?」

張遼「やばい、楽進と李典が私の言う事を聞いてくれるかどうか、怪しいな」

李典「私たちが心配しているのは、あなたが考えてることであって、国家の一大事に私情は持ち込まないですよ!」

勘違いしないでよね!(*`へ´*)プンプンって言ってるような気がする李典。

大軍を相手に撃って出る指示を出されて、困惑する諸将が多い中、張遼は人間関係を心配しているあたりが、もうね。

目の前にいる敵の大軍より、味方の人間関係が怖い。

 

舐められたら殺す=関わらないようにしよう

精神があることが分かった張遼ですが。

自分が悪いと気づいたら、反省して謝罪できるし。

 

董卓や呂布を見て生きてきた張遼は、未来人の私が思ってる以上に、悩むところや思うところがたくさんあったんだろうな〜と、思いました。

 

 

 

 

 

けろりっちの考察のような妄想のような記事を読んでくださり、ありがとうございました。

m(_ _)m

 

建安20年(215年)の合肥組

薛悌が何者か調べた時に『程昱といっしょに曹操の帰還を待ち続けた』っち書いてあって、めっちゃ感動したんだよね!健気じゃん!

 

で、書きながら気づいたけど。

 

合肥組の薛悌、楽進、李典は、古参の兗州組なのね!?

 

古参の兗州組と、元呂布軍の降将と

 

凄い組み合わせだわ。曹操もなかなか酷い( ゚д゚)


楽進李典だけならともかく、護軍(お目付役で将軍の働きを報告する)まで兗州組とあっては、張遼には針の筵だったかもしれない。


温恢は、張遼と同じ并州の出身者だけど、別に張遼を贔屓するわけじゃないだろうし(実力は認めてる)。

仲を取り持つのは大変そう。


蒼天航路の合肥に出てきた温恢は、案外、史実に近かったりして(笑)



これだけ酷い人間関係の状態で、公私混同せず一致団結したわけだから、凄いのよね。

合肥の戦いは、ただ寡兵で大軍を撃退した戦じゃないのよね(b゚v`*)



ここまでお読みいただき、ありがとうございました😊

 

 

張遼の経歴年表作りを頑張ります

 けろりっちが今朝見た夢。



 横山光輝三国志のイラストの張遼・魏延・孫権と、坂本龍馬が出てきました。

 戦後の日本の子どもに病気が流行っている、という設定。

張遼: 戦後日本の子どもたちを病気から救うため、薬を作る。

魏延: 張遼に投降した。張遼が作った薬を試し飲みする治験者。

張遼「子どもたちのためだ、逃げるなよ」

魏延「そんなことしないよ」

孫権:  張遼が作った薬を試し飲みする治験者。なぜ治験者になってしまったのかは、謎です。

 魏延と孫権が薬を飲んで試すたびに、新聞を作って、日本の子育て世代にばらまくという。

 坂本龍馬は、カニを食べようとして、大きなカニと戦ってた。

 
Crab←大きなカニ。甲羅が硬くて刃を通さないカニ。坂本龍馬は、カニの甲羅が硬くて、カニを仕留められない。

 魏延と孫権が薬を飲むテストをして、新聞を作ったところで。

 

 けろりっちは目が覚めました。

 


 張遼で薬といったら。

劉曄が皇帝と同じお医者さんを連れて、張遼のお見舞いに来たことを、年表に書いてなかったです。

 張遼のファンなら誰でも知ってると思ったので。後回しにして、なにもしてなかったです(^^;)

ということで、さっそく『晩年』の年表を加筆しました。

 そこで、ですね。

 病気になったところを追加したときに、大変なことに気付きました。

先日更新した箇所の時系列が、なんと!めちゃくちゃになってました!(@◇@;)アレー?

 考えられる原因は、寝る前に更新して、ちくま正史三国志の張遼伝で確認をしなかったことですね。けろりっちの怠慢です。

けろりっちは、反省しました。

 病気になったところ、曹丕から寵愛を受けたこと、足りない部分を加筆したうえ、時系列をしっかり並べ直しました!チェックもしました!

 きっと、張遼が、夢に出てきてけろりっちに教えてくれたんですね!

 

 羅漢中は、演義を執筆するときに、関羽が夢に出てきたらしいし。(間違ってたらすみません)

 や○ろあ○きさんは、父親が夢に出てきて『ネットに変なこと書くなよ』と言われたそうですし。

 けろりっちは、張遼から『年表(晩年)の時系列、間違ってるよ』と、メッセージをいただいた気がします。

 天国から、けろりっちの年表を読み、見守ってくださってるのかしら???

けろりっちは、年表作りを頑張ります!٩( 'ω' )و

張遼さん、天国からのご指摘、ありがとうございました!(^人^) 




夢の内容自体は、本当に謎なんですけれど。

張遼は薬剤師になったのかな、病気になった子どもたちを救うために薬を作ろうとするなんて、優しいですね(*´艸`)

けろりっちが見た夢の中の話ですけどね!



ここまで読んでくださり、ありがとうございましたm(_ _)m