薛悌(せつてい)
薛悌(せつてい) 字:孝威(こうい)
☆22歳のときに兗州従事。
兗州が呂布に襲われたときは、程昱といっしょに三城を守りぬいて曹操の帰還を待ち続けた。(程昱伝14P)
☆もともと、身分は低かった。儒者に近い道をとり、また文帝(曹丕)から「まじりけのある役人」と評された。(梁習伝113P)
☆208年~215年合肥では、張遼・楽進・李典の護軍。(張遼伝215P)
☆22歳兗州従事→泰山太守→魏郡太守→尚書令
曹操が冀州を平定した後、曹操の長吏。後に中領軍。陳矯と仲良し。
忠誠で事務に練達しており、世の官吏の手本であった。(陳矯伝491P)
☆高堂隆伝
高堂隆は泰山の人。薛悌が泰山太守だった頃、薛悌は高堂隆を督郵に任命した。
郡の督軍が薛悌と論争したとき、薛悌を名前で読んで怒鳴りつけた。
横で見ていた高堂隆が督軍に怒って剣を抜こうとしたので、薛悌が慌ててなだめて止めた。(高堂隆伝)
けろりっちは愚痴る。
合肥組の護軍ということで名前が出る薛悌だけど、決して無能でもなければ平凡でもないだろうに、記述が少ないよ(T_T)
ということで、まとめました!
参考にしたもの↓
ちくま正史三国志(ちくま学芸文庫)
3巻[魏書Ⅲ]程昱伝、梁習伝、張遼伝、陳矯伝
4巻[魏書Ⅳ]高堂隆伝